『流行に踊る日本の教育』第1章@独り読書会

まず、いつものピックアップから
第1章 
資質能力ベースのカリキュラム改革―学校ですべきこと、できることは何か?
 
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グローバル化、知識基盤社会、AIの進歩、人口減少社会など、変化の激しい社会では、 正解のない問題に対応したり、異質な他者と協働したりできること、新しい価値を創造することなど、人間にしかできないことが大事になってくる。
・これに対して、これまでの画一的な日本型教育では、与えられたことをまじめに丁寧に 手際よくこなす人材は育てられても、イノベーションを起こす人材は育てられないし、終 身雇用も揺らぎ、いい大学を出ていい企業に入社できても、それだけで一生安泰という時代でもない。
・このままでは、子どもたちは社会を生き抜けないし、日本社会の競争力も低下してしまう。
 
こうした語りのきっかけとなったのは、OECD(経済協力開発機構)の国際学力調査 (PISA)でした。

 

 

 
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コンピテンシーとは、職業的有能性や人生における成功を予測する、社会的スキルや動機、人格特性も含めた包括的な能力、いわば社会が求める実力を意味する言葉
 
 
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・そもそも教科の学びは知識・技能の習得以上のものではなく、個別最適化(第2章参照)の 学習アプリ(「A1先生」)に基本的に任せてしまえばいい。
 
・ 考えるカや創造性や社会性は、PBLの学習プログラムとデジタルコンテンツで学ぶといったように分担してしまえばいい。
・ PBLに参加する子どもたちに必要な、他者と協働するためのコミュニケーションスキルや、システム思考やデザイン思考にかかわる思考法を個別に特定し、直接的にプログラムで育成していけばいい。
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「新しい能力」として挙げられる「創造力」「コミュニケーション能力」といったものは、最大公約数的で陳腐な、どの時代でも重要だとされるような、普遍的能力を挙げているにすぎないのです。それどころか「いま、どのような社会で、どのような知や力や スタイルを身につけておくことが有効なのか?」といった、社会のリアルを問う問いに、 人々が向き合うことを妨げているように思います(石井、2015)。
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・「足元の具体的経験や生活から学び、そこで自分の視野の狭さに気づく経験」
・「子どもだましでない嘘くさくないホンモノの面白さを経験しながら、ときに先達の追求の厚みに圧倒され、自らの非力を感じながら、力をつけていく経験」
 
 こうした真正(ホンモノ)の学び (authentic learning)には、挑戦や試行錯誤や失敗が つきものです。家庭や地域や社会が、教師や学校、そして子どもたちをもう少し信頼し、 それぞれの挑戦を見守ることが肝要です。
 そうして子どもたちが人間として成熟するにつれて、敷かれたレールをたどる指示待 ち状態も克服されてくるでしょうし、視座の高まりや人間的成長は、認識の深化をもたらし、結果として、進路保障にもつながることでしょう。
 人が育つということのイメージが、短視眼的で表層的なスキル形成へと矮小化される なかで、人とのつながりや場のなかでじわじわと、そしてときに劇的に生じる認識の転換や、人間的成長にこそ目を向け、「働き方改革」も叫ばれている折、学校や自分たち は目の前の子どもたちのために何をなすべきか、何を捨ててはいけないかを議論していくことが必要でしょう。

 

 石井英真は「真生な学び」が好きですね。対「未来の教室」にはそれが本当に必要なのか?と問うていますが、自身の概念についてはあたかもそれが敷衍されているかのように最後にまとめています。「何が真正な学びなのか?」「それは真生な学びなのか?」といった問いを生み教育現場で逐一特定していくことになることは、参考文献の一著者に挙げられていた中村高康(2009)の「メリトクラシー再帰性」ならぬ「授業の再帰性※」なるものを絶えず呼び込むと思うが、それでもその概念を持ち出す理由その良さを知りたい。

 

※勝手に定義。:この授業はXの授業か?行った授業を対象として言及し続けること、あるいはそれが止まらない様。

 

中村高康(2009)「メリトクラシー再帰性後期近代における「教育と選抜」に関する一考察」『大阪大学大学院人間科学研究科紀要35,pp.207-226.