仕返しの解放感と引き換えに不気味に横たわる資本主義の勝利:『JOKER』を観て

 ネタバレ含みます。
嫌ならこの後の文章は読まない方がいいです。
とある友人から何度も観ろとラブコールを受け、コロナGWの憂鬱な時間を過ごすべく観ました。

 

  面白いか面白くないかで言えば面白いです。
普段、このようにレビューなんて書かない私を書かせていますからね。
ただ、この映画が生まれるべくして生まれた悪、
堕天使から解放感を得るだけの薬となっているのであれば、絶望するしかないです。

 

 


◆悪が正義を装った悪をやっつけるGiant Killing/下剋上、悪のサクセスストーリー


 貧困/格差、精神障害に対しての偏見といった現代社会の穢れを全て主人公アーサーに背負わせることで、「自分は見て見ぬふりをしている」、
あるいは「そういった問題があったな」と観た人に再認知させることに成功していると言えます。

 

 そして、形式的な質問しかしない心理相談、そしてその相談すらも受けなくさせてしまう行政、貧困なんかどうでもいいのに、それを助けると言って出馬するどこにでもいそうな政治家。理不尽な暴力や言動でマウントを取ってくるあらゆる「上」の人間に対して殺害で応答していくサマは、現実世界で同様の理不尽に遭った観客に主人公と自分を重ねさせ、且つ殺害により今後理不尽が起こらないことを想起させ、この2時間とその後の余韻の間、鬱屈な現実(クソ社会)から一時的に解放させてくれたはずです。


 また、アメコミ的な、なるべくしてなったという運命感は共通項として有しながらも、アーサーはネタの中で自殺しようとしていたが果たせずJOKERとなってしまった点で、キレイなサクセスストーリーから少し外れている点も、現実味が増していて自然にストーリーが入ってきており、面白さに貢献しているでしょう。

 

 

 

◆ただ成し遂げられたのはJOKERだけ、お前ではない


 アーサーはしっかり最後JOKERとなりました。孤独だったアーサーは、現代社会の穢れを炙り出すシンボルとして民衆から崇められます。
 また、警察や富のみならず、冒頭の心理相談に対してさえも、獄中の心理相談のパートナーをしっかり殺害していることが最後の描写でわかります。


 この2点からもわかるように、なりたいコメディアンになれるどころか、テレビでさらされ大恥をかいたアーサーは、JOKERとなることでやっと自分が存在していることが自他ともに認知でき/され、程度はわかりませんがある程度自己実現を果たせました。


 ただ、残念ながら私を含め少しでも共感した観客の多くは、自分の鬱屈な気持ちを生じさせている現代社会の穢れに対して、JOKERのように法を脱してまでアクションは起こせません。せいぜいアーサーと自分を重ねて疑似的にやっつけた高揚感を得られただけ。高揚感と引き換えにむしろ鬱屈な資本主義を受け入れているのです。

 

 

 

「お前らには疑似的にやっつける高揚感だけ与えておくから、それを糧にまあ頑張ってせいぜい自分らしく生きておくれよ」

そうです、憂鬱な現実のお出ましでございます。では、とくとご覧あれ。