雑誌『教育』202106号を読む: 外国につながる子ども・若者と教育について

 
⓵外国人児童生徒等に対する教育支援に関する基礎資料  2016
②外国人児童生徒のためのJSL対話型アセスメント
酒井朗(2015)『教育における包摂と排除』
 
まずは凡その事実確認をする。上記参考文献⓵(p.4)を見ると、
日本語指導が必要な生徒が年々増えていることがわかる。
 
次に私の稚拙な推測だが、A.日本全体の生徒数は少子化から減っている、B.且つ地域によって集中する特性が凡そあることから、ある地域ではこのグラフを遥かに超えるペースで外国籍の児童生徒が増えているかもしれない。
 
疑問はテーマに関連して1点と本誌の意図について1点の計2点。
 まず、テーマに関連する疑問は、⓵気になるのはコロナによって人数は減っているのかどうか、②コロナ前から周縁に追いやられやすい彼らは必要な支援をより受けられなくなったのかなど、外国籍の児童生徒のコロナによる日本語指導などの学習支援に対しての影響が気になった。(既に文献等ありましたら、ご教示いただけますと幸いです。)
 
次に、本誌の意図について。本号はコロナから脱出した号になっているが、現場にそった論考であるならむしろこういった社会的排除を受けやすい立場の変化を凡そ質的に観察、記述していく文献を積み重ねていくことが求められるのではないか?
 コロナに対する行政の動きを反市場化、テクノロジー化による教育の軽視への危惧という側面のみ強調してきた本誌は、このテーマで敢えてコロナと切り離していることで、ある意味彼らの立場の周縁化に貢献してしまっていることに対して自覚する必要があるかもしれない(もちろん、全く触れないよりはましかもしれないが)。個人的には現場に寄り添う本誌の特性が故に文献の独自性・新規性が薄くなりやすいのだから、このテーマでこそコロナとぶつけた記述が見たかった。
 
飛躍するが、この「外国につながる子ども・若者」に必要なリソースを柔軟に割けるようにするには、
⓵行政の統制を緩める、
②供給資金増と人員増、が必要不可欠と、
③GIGAスクールによる知識習得箇所のドリルによる従来の指導箇所の工数削減と、それに伴う個別指導へのリソースの割り当て、
と何も彼らに限ったような話ではない、共通項であるように見えてしまう。つまり、彼らをフォーカスを当てて支援を考えた場合に彼らをあらゆる教育政策に組み入れながらも、より必要な支援(日本語教育など)がどのようなもので、それにどれだけの人とお金が必要なのか、そして今はどれだけリソースを割けているのかを検証していく必要があるだろう。