中教審「「令和の日本型学校教育」の構築を目指して」中間まとめを後ろから読む 9.Society5.0時代における教師及び教員組織の在り方について

 
9.Society5.0時代における教師及び教員組織の在り方について
(1)基本的な考え方
(2)教師のICT活用指導力の方策
(3)多様な知識・経験を有する外部人材による教員組織の構成等
(4)教員免許更新制の実質化について
(5)教師の人材確保
 
(1)基本的な考え方
・ 教師が,時代の変化に対応して求められる資質・能力を身に付けるためには,個々の 教師が養成段階に身に付けた知識・技能だけで教職生涯を過ごすのではなく,求められ る知識・技能が変わっていくことを意識して,継続的に新しい知識・技能を学び続けて いくことが必要である。
 
(2)教師のICT活用指導力の方策
 
(3)多様な知識・経験を有する外部人材による教員組織の構成等
・キーワード:多様性と柔軟性
 
(4)教員免許更新制の実質化について
・課題:負担感、労働長時間化、教師不足の深刻化
 
(5)教師の人材確保
・事象―課題:採用倍率低下 教師不足の深刻化
あらゆる手立てを尽くす a.国 b.教育委員会 c.学校
 
・学校の志望者の確保のためには、例えば、早い段階から教職の魅力を発信する取組を促進することや全国で実施されている学校における働き方改革の取組や教職の魅力向上策を国として収集・発信すること等が必要である。
 
・解決策:教師の採用、受験年齢制限の緩和、特別免許状を活用した特別選考、外部人材の活用

オンライン授業を考える 中学英語編

オンライン授業なんか駄目!対面授業じゃなきゃ!みたいな意見を見たので、
対抗すべくどうやったらその不満や疑心暗鬼な部分を拭えるかと思って自分でも考えてみました。
 
 
◇対象:オンデマンド(非同期型)(リアルタイム型は後日考えてみたい)
・動画時間:長くても10分(5分が理想)
・内容量:1-3ポイントに絞る
 
(例)ポイント3点
・①Iam /②You are~.
・You are ③noun/adjective.
 
■生徒の学び
・「私は/あなたは~です。」を知る(だけ)。
■何ができていないか
・実際にReading,LSWできるかわからない。
→課題で確認する
 理想:オンライン上で演習→確認、Reading以外3問程度演習。
技能
内容
所要時間
W
和→英訳(各問題制限時間5分、制限時間追加可)
15min
L
選択問題/英→和訳等
10
R
画面に文章表示→マイク使って音読
→読めているかどうかを音声認識(AI?Siriみたいな)
10
S
How are you?等の質問→回答
10
 
◇こんな感じで作ってみてわかったこと
①動画だけだと生徒が実際に理解したかどうかわからない。
 課題で実際に理解しているかどうか確認する必要がある。(課題に授業時間の9割当ててもいいかも?)
Google Classroomである程度対応できるが、4技能全てを網羅した授業設計がオンライン上でできるようなコンテンツがまだなさそう。
 (Speaking,Readingにおける音声のアップロードができない、音声認識なしによる教員の確認の手間等・・・)
 
 
 
 
 
 

復習:改めて学習指導要領を眺めてみる

「個人の望ましい成長発達は,社会の維持改善をもたらすものであり,また,社会の維持発展のためには個人の望ましい成長発達をはからねばならないからである。」


「個人生活の充実,個人能力の最大限の発展を考えねばならない。」

 

これいつの文章かわかります?答えはなんと1951年改訂。今から約70年前です。

 

所謂、指導要領の振り子の位置付けの中では経験学習的位置付けを得ている本指導要領ですが、この時既に個人に対して、生活の充実と、能力の最大限の発展を考える必要を訴えかえています。70年程経った今、この考えはどれだけ実現できているでしょうか?

 

個人は目標として設定されるだけで、やはり集団が優先されてしまう現実がある≒落ちこぼし/吹きこぼしが一定数いる以上、学校教育はずっと集団主義に重きを置いてきたと言わざるを得ないでしょう。

 

先月6/24に出された「新時代の学びを支える先端技術活用推進方策」にも個に対して同様に規定をしているものの、またしても個人は無視されるのでしょうか?

 

もはや学校教育は個人を無視するメカニズムなのでは?という疑念が残ります。

 

学習する学校≒個人を無視する学校

Back to the Future , 学校教育 

6月から部分的に学校が再開となり3週間が経過。2/27に休校の打診があり3/2から休校。学校教育は今、その空白を埋めようと尽力している。
しかし、その力の注ぎ方が今問題として取り上げられつつある。詰め込み教育だ。

Why 詰め込み教育

授業時数を確保したいから。学校は授業時数が事前に決められている。

子供が理解しているかどうかなんてどうでもよく、ただ授業をやった事実が欲しい装置に過ぎない。ペシミスティックと言われようと、学校は子供を収容し、無視し続ける。無視する学校。neglecting teaching/ school/ education。

 

教員はその残酷さをマイルドにする調味料。ただ意思ある調味料。中には残酷さをプラスする者もいるとかいないとか。

 

学校はボトムアップに徹せよ

頼む。全員を見る気が端からないなら学校はボトムアップに徹してくれ。できる人間にリソースを割かないでくれ。M先生だって教育は希少財と言うじゃないか。3分もあればできるものをそっちで決めた45分、50分拘束される苦痛を考えてほしい。(これを言うとあれこれ言う人間が出るのも面倒、私個人は少しだけできただけ。)通塾率は50%周辺で推移しているそうで、今声高に叫ばれつつある少人数学級が20人と言うのだからちょうど良いじゃないか。6-70年代の落ちこぼれ/吹きこぼれの再生産をしないでくれ・・・。

 

学校は授業を実施しただけで満足しないでほしい。個の理解に徹してほしい。しかし、その矛先が教員のみに向けられてしまうのは、多忙化が叫ばれている以上、あまりに酷だ。AIによるやり取りが十分でない以上、リソースは人間にならざるを得ない。そして、もっとリソースを割ける予算が無くてはならない。

また、オンライン教育の活用もそうだが、もっと個の学習における移動可能性、モビリティを向上してほしい。モビリティの話は睡魔に負けたのでまたどこかで。

特別定額給付金の電子申請ができない ポイントまとめ

給付金の申請しよう!あれ、エラーで申請できない…

 

特別定額給付金の申請をしようとしたらできませんでした。

完了まであと1歩のところで、「電子証明書が有効期限切れ。窓口で更新しろ」とエラーメッセージが出る。

f:id:barndoorfowl:20200507154002j:image

http://www.city.takatsuki.osaka.jp/m/shisei/seisakuzaisei/mynumber/mynum_info_kojincard/1566542731368.html

 

→有効期限切れかどうか確認してください。

引越しして、他の手続きとは別に電子証明書の更新をしていないと有効期限が切れるとのこと。3年過ぎる/引越しなら基本的には期限切れ。

 

期限切れの場合は窓口に行くしかないそうです。

 

 

電子証明書期限切れで窓口に行くしかない!ということで早速行ってみた。

 

が…マイナンバー用の窓口が無く番号待ちが届出/証明書の2択…どちらも該当しているような…いきなり問題です。どちらが正解だったでしょうか?

 

 

 

答えは他の方が質問して案内されていたのを見ていた限りは「届出」でした。ただ直接聞いたわけではないので、本当に合っているかどうかは未だにかわからず…。ひとまず、待っている間に同じようにどちらかわからずあたふたされている方が少なくとも10人はいました。

 

窓口に案内されてから初めて書類を書く。最初、窓口の方自身もどの書類がわからず困っていて、周りの役所の方に聞かれていました。これでは混雑してしまう…少なくとも自分の住む所の役所では今日から申請できることから考えて、今後もし増えるのであれば、大変な混雑になりそう…

 

このご時世できる限り接触を減らしたい以上、他の書類申請と同じようにせめて事前記入させて欲しいです…

 

でまあ更新ができたのですが、終わって再度電子申請しようとしてもダメ。再び窓口にいらっしゃる役者の方にお伺いすると、1時間後に処理が走るとのこと。これも窓口の方によって、言ってくださる方とそうでない方がいらっしゃらかもしれないので、事前に知っておくといいかもしれません…

 

更に1時間経ったなあと思って再度申請してもダメ。今度はSNS見る限りサーバーダウンで更新処理されないとのこと。現場に再度確認したら、処理は実行されたログを確認できた。それでも更新できないなら再度足を運んでとのこと…

 

まあ処理が落ち着くまで少し様子見て、再度申請してみますが、このままだと窓口が大変なことになりそうな…

 

改善できそうな点

・書類は事前記入で

マイナンバーの窓口はどこか掲示して周知/人手があれば(ないと思いますが)銀行のように案内係がいるとスムーズかも。

 

役所の方、ご検討いただけたら幸いです。

 

 

仕返しの解放感と引き換えに不気味に横たわる資本主義の勝利:『JOKER』を観て

 ネタバレ含みます。
嫌ならこの後の文章は読まない方がいいです。
とある友人から何度も観ろとラブコールを受け、コロナGWの憂鬱な時間を過ごすべく観ました。

 

  面白いか面白くないかで言えば面白いです。
普段、このようにレビューなんて書かない私を書かせていますからね。
ただ、この映画が生まれるべくして生まれた悪、
堕天使から解放感を得るだけの薬となっているのであれば、絶望するしかないです。

 

 


◆悪が正義を装った悪をやっつけるGiant Killing/下剋上、悪のサクセスストーリー


 貧困/格差、精神障害に対しての偏見といった現代社会の穢れを全て主人公アーサーに背負わせることで、「自分は見て見ぬふりをしている」、
あるいは「そういった問題があったな」と観た人に再認知させることに成功していると言えます。

 

 そして、形式的な質問しかしない心理相談、そしてその相談すらも受けなくさせてしまう行政、貧困なんかどうでもいいのに、それを助けると言って出馬するどこにでもいそうな政治家。理不尽な暴力や言動でマウントを取ってくるあらゆる「上」の人間に対して殺害で応答していくサマは、現実世界で同様の理不尽に遭った観客に主人公と自分を重ねさせ、且つ殺害により今後理不尽が起こらないことを想起させ、この2時間とその後の余韻の間、鬱屈な現実(クソ社会)から一時的に解放させてくれたはずです。


 また、アメコミ的な、なるべくしてなったという運命感は共通項として有しながらも、アーサーはネタの中で自殺しようとしていたが果たせずJOKERとなってしまった点で、キレイなサクセスストーリーから少し外れている点も、現実味が増していて自然にストーリーが入ってきており、面白さに貢献しているでしょう。

 

 

 

◆ただ成し遂げられたのはJOKERだけ、お前ではない


 アーサーはしっかり最後JOKERとなりました。孤独だったアーサーは、現代社会の穢れを炙り出すシンボルとして民衆から崇められます。
 また、警察や富のみならず、冒頭の心理相談に対してさえも、獄中の心理相談のパートナーをしっかり殺害していることが最後の描写でわかります。


 この2点からもわかるように、なりたいコメディアンになれるどころか、テレビでさらされ大恥をかいたアーサーは、JOKERとなることでやっと自分が存在していることが自他ともに認知でき/され、程度はわかりませんがある程度自己実現を果たせました。


 ただ、残念ながら私を含め少しでも共感した観客の多くは、自分の鬱屈な気持ちを生じさせている現代社会の穢れに対して、JOKERのように法を脱してまでアクションは起こせません。せいぜいアーサーと自分を重ねて疑似的にやっつけた高揚感を得られただけ。高揚感と引き換えにむしろ鬱屈な資本主義を受け入れているのです。

 

 

 

「お前らには疑似的にやっつける高揚感だけ与えておくから、それを糧にまあ頑張ってせいぜい自分らしく生きておくれよ」

そうです、憂鬱な現実のお出ましでございます。では、とくとご覧あれ。