Back to the Future , 学校教育 

6月から部分的に学校が再開となり3週間が経過。2/27に休校の打診があり3/2から休校。学校教育は今、その空白を埋めようと尽力している。
しかし、その力の注ぎ方が今問題として取り上げられつつある。詰め込み教育だ。

Why 詰め込み教育

授業時数を確保したいから。学校は授業時数が事前に決められている。

子供が理解しているかどうかなんてどうでもよく、ただ授業をやった事実が欲しい装置に過ぎない。ペシミスティックと言われようと、学校は子供を収容し、無視し続ける。無視する学校。neglecting teaching/ school/ education。

 

教員はその残酷さをマイルドにする調味料。ただ意思ある調味料。中には残酷さをプラスする者もいるとかいないとか。

 

学校はボトムアップに徹せよ

頼む。全員を見る気が端からないなら学校はボトムアップに徹してくれ。できる人間にリソースを割かないでくれ。M先生だって教育は希少財と言うじゃないか。3分もあればできるものをそっちで決めた45分、50分拘束される苦痛を考えてほしい。(これを言うとあれこれ言う人間が出るのも面倒、私個人は少しだけできただけ。)通塾率は50%周辺で推移しているそうで、今声高に叫ばれつつある少人数学級が20人と言うのだからちょうど良いじゃないか。6-70年代の落ちこぼれ/吹きこぼれの再生産をしないでくれ・・・。

 

学校は授業を実施しただけで満足しないでほしい。個の理解に徹してほしい。しかし、その矛先が教員のみに向けられてしまうのは、多忙化が叫ばれている以上、あまりに酷だ。AIによるやり取りが十分でない以上、リソースは人間にならざるを得ない。そして、もっとリソースを割ける予算が無くてはならない。

また、オンライン教育の活用もそうだが、もっと個の学習における移動可能性、モビリティを向上してほしい。モビリティの話は睡魔に負けたのでまたどこかで。