『流行に踊る日本の教育』第3章@独り読書会

第3章 対話的・協同的な学び
 
 
これまで知識教授、知っている者から知らない者への情報伝達、一斉授業と呼ばれるような形式を主たる「授業」として行ってきている。前提としてこのような「対話的・協同的な学び」は知識を活用する学びで必要とされるものではないか。何の知識もない状態ではそう簡単に用いられる手法ではないはず。「知識を活用した先にどのような世界と接続できるか。」これを想定しない授業で対話すれば、教員の授業やった感としての満足感を得させるだけで、学習者には何も残らない。
一方、協同的な学びでは知識伝授の時点でも、話ながら学ぶような姿を想像することができる。とすると、この用語をひとつにまとめることのメリットを再構成する必要があるようにも思える。
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以下picik up
 
074 「あまり深く考えないで、対話·議論しているかのように見せ、期待されている結論にあわせて教師からの高評価をねらう」という「主体性」が発揮されているとも言えます。
 
 
078 ・アクティブラーニングの導入の経緯
「論点整理」の補足資料では、アクティブ・ラーニングを「教員による一方向的な講義形式の教育とは異なり、学修者の能動的な学修への参加を取り入れた 教授・学習法の総称」と定義し、これを、「新たな未来を築くための大学教育の質的転 換に向けて~生涯学び続け、主体的に考える力を育成する大学へ~」(答申用語集 2012(傍点筆者)から引用しています。
 
つまり、大学教育改革の議論のなかで重視されたものから、初等·中等教育が対象の学習指導要領の重点が取り入れられているのです。初等教育から高等教育までの一貫し た改革が推進される際には、こうした混乱が起こりやすく、十分注意が必要でしょう。
 
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いま必要なのは、教師が子どもや教材、現代的課題を深く理解し、自分の気づきや疑 小さな違和感を「流して」しまわず、深めることのできる時間・空間や仲間を得て、 経験を重ねていけることでしょう。
 
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対話的・協同的な学びを求める授業は、単純に知識や技能を獲得させていく授業に比べ、不確実性が伴います。しかし、授業で多少失敗したとしても、子どもたちとの基本 的な信頼関係があり、同僚、教育研究サークルの仲間の支えがあると、次の一歩を考えることができます。教師同士の対話的で協同的な学びが欠かせないのです。 こうした取組には、少なくとも時間的な余裕が必要です。少子高齢化が進むからと いって、また、学級サイズが大きくても国際調査でよい結果を出しているからといって、 教員定数の見直しを放棄している場合ではなく、良心的な教師の「サービス残業」がなければ対話的・協同的な学びが成り立たないような状況を変えていくべきです。