思索、海後宗臣(1951)「わが國教育社会学の課題」 

まずはざっとどんな人か。

海後宗臣(かいご ときおみ)1901年9月10日 - 1987年11月22日

弟の勝雄も教育学者で埼玉大学名誉教授・福島大学学長。 次男は社会学者東京大学名誉教授蓮見音彦

  • 『教育編成論』国立書院 1948
  • 『教育の社会基底』河出書房 1949
  • 『教育原理』朝倉書店 1950

この辺の著書が気になりました。それにしても家族みなさん学者で凄い家庭ですな。というか学者は割とそんな感じですよねえ。

 

この論文のポイントは次の2点かなと。とっとと切り上げたい人は以下2点だけ目を通すと何か変わるかも? 

  • 社会生活との関係を明らかにすることをこの当時から標榜していること、
  • 教育社会学と並置して職業社会学を挙げていること

 

p.5

 

 

教育学の重要な一面であつて尊重されねばならないが、他の側面即ち現にこの国土に行われている教育の実際を科学的な方法で研究することにおいて甚だしい弱点をもつているのである。

 教育哲学周辺を思索的教育学として、そっちは十分にされてきているけれど、「科学的な方法は不十分だからそっちをやろうよ」と説いている。簡単に言うとバランス大事でしょって思索vs科学って二項対立をここで持ち込んでいる。

 

p.5

大正の半頃までには特に教育社会学としてた展開された研究はなかつたと見るべきであろう

大正は15年続いたので、大正5~10年とすると1916~21年。

教育社会学 - Wikipedia

にもあるようにプラグマティズムの流れとその対立からの機能主義という2つの流れの接触点みたいなイメージ。探求すると埒が明かないのでこの点についてはここで思考停止。

 

p.10  

社会生活を通しての人間関係が如何になされているかを実証的に研究しなければならない

個人的にも今の教育社会学にもパンチの効いた指摘。社会生活なんてこれっぽっちも出来ていないです。私的な生活に閉じこもって生きています、すいません・・・。どうしても今も学校教育に焦点が当たってしまいがちだけれども、その周辺(空間・環境・生活)と数年数十年のスパンといった長い時間での観察ってそうできていない(後者はそもそもそうできない)ので、連関の意識ってどこへと飛んだのかしら、と。やっぱり業績を積むには細分化していったほうがいい、そんな風潮に押されているのかなと。

 

p.9  

社会教育の教育社会学が学校社会学とならんで成立することとなるであろう

p.9

学校と結んで人間の生活を決定しているのは職業である。

p.12 学校の果すべき機能も現在の如きものではなく、更に強く仕事との連関をもつたものに再編される

職業へのシームレスな連関を海後は求めているが、職業も多様化が拡がっている中、どれだけ近接できるか。思い切ったビジネススクールみたいな実例が出て、その失敗から何か活きることはないのかなと、そういった実践に踏み切る前に、価値判断されて頓挫してしまうのも今の世の常なのかしら。

 

という感じで1日1本できたらなあと。