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求められる現代の組織像-自由としての移動(mobility)の加速化

 人と人が集合し、一定の同一性を目指す現代の組織は、そこに入ることも出ることも一定の困難さを抱えている。例えば、企業に入るためには、熾烈な競争を他者と二三度繰り返さなくてならない。あるいはそういった競争を避けるために、事前に企業側の人間と一定の関係性を構築しなくてはならない。また、その集合体・組織が求める限り、出ることも容易ではない。例えば、これも企業を例に取るが、ある企業に属していて、そこから離れようと「辞めます」と言って単に出ることは可能かもしれないが、それを実行するには、たとえその組織から出られたとしても、つまり「組織に属する個人」から「個人」となったとしても、生活できる余裕が無ければならない。あるいは、その組織に出ることは、その組織の属する人間のアイデンティティなるものを一部拒否することを意味することから、人間関係が疎遠になる、といったことが挙げられる。

 

 ゲマインシャフトゲゼルシャフト(英訳:community and society、邦訳:共同社会と利益社会) という言葉がある。ドイツの社会学者であるテンニースによって作られた言葉である。前者は、「構成員一人ひとりのために存在する組織であ」(1)り、「肉親や家族といった血のゲマインシャフト、近隣や村落といった場所のゲマインシャフト、都市や朋友といった精神のゲマインシャフト」(2)といった類型がある。つまり、ゲマインシャフトはall for oneである。一方後者は、ある目的を実現するための組織であり、その特徴として契約や、協定があり、その中の個人は「行儀よく振る舞うことや装うこと、すなわち社交が重視される」。(2)ゲマインシャフトがall for oneなのに対し、ゲゼルシャフトはone for allである。私たちのほとんどはこのどちらにも属している。そして、ゲゼルシャフト≒企業中心社会が我々の生活を握っている。

 

 移動に則して2点を見ると、ゲマインシャフトでは、個人がどこへ移動しようが構わないが、ゲゼルシャフトでは移動が目的にそぐわなければ、絶えずその組織の利益を追求するため、個人が自由に移動することは出来ない。これにより個人はゲゼルシャフトのその不自由さ、個人の興味関心をないがしろにする疎外によって疲弊する。それでもなお。ゲゼルシャフトは利益を追求する。しかし、そのゲゼルシャフトが求める利益は合理性のみによって成立するのだろうか?利益を追求しすぎるあまり、その目的に従事する個人の仕事内容は必ずしも自分の興味のあるものではないことから、彼らは疲弊し、疎外され、効率が悪くなっている事態は全く起きていないのだろうか?

 

 現代の組織は、ゲゼルシャフトが中心的な役割を担っている。しかし、それでは個人はないがしろにされる一方である。そうではなく、個人を保護しつつも利益を追求できるよう、個人のゲゼルシャフトゲマインシャフト化することが求められているのではないだろうか?具体的には個人の移動を出来る限り保証し、それを加速化させ、組織立った組織が持つ秩序性を緩め、組織を出入が困難な城郭から出入の容易な海へと変容させながらも、その海としての利益を追究することが求められている、そのように感じる。

 

 

参考文献

(1)社会保険労使士事務所 早稲田労務経営 http://www.waseda-hm.com/article/13712298.html08/11/15取得

(2)土井文博・荻原修子・嵯峨一郎編(2007)『はじめて学ぶ社会学ー思想家たちとの対話』ミネルヴァ書房