20210620_「学びの個別最適化」を考える1日_タイムテーブル

タイムテーブル14:00-21:00
三部構成
1.個別最適化のいま
 2. デジタルテクノロジーの限界と可能性
 3. 教育DXへの道筋
 
 1.個別最適化のいま
  1.14:00〜14:20
    [T0−01]ご挨拶・開催趣旨 
     佐藤昌宏(教育イノベーション協議会)、森田朗(NFI)
 
   2.14:20〜15:05
    [T1−01]個別最適な学びと協働的な学び
     板倉寛(文部科学省
 
   3.15:05〜15:50
    [T1−02]教育データ利活用
     桐生崇(文部科学省
 
           4.15:50〜16:35
                [T1−03]GIGAスクールと教育評価
             福本徹(国立教育政策研究所
           5.16:35〜16:50
                 参加者インタビュー
               ファシリテーター 
      河合琢也(教育アドバイザー)
      野本竜哉(iOSコンソーシアム)
 
             6.16:50〜17:00
                 参加者インタビューのまとめ
               佐藤昌宏(教育イノベーション協議会)
               河合琢也(教育アドバイザー)
               野本竜哉(iOSコンソーシアム)
 
2. デジタルテクノロジーの限界と可能性
             7.17:00〜17:45
               [T2-01]社会のDXと教育
                 吉田 宏平(内閣官房IT総合戦略室)
            高谷浩樹(内閣官房IT総合戦略室)
 
デジタル改革関連法が成立し、社会が急速にデジタル化していく中では、全体最適化のために教育のデジタル化も歩調をあわせていく必要があります。この必要性と関係者への期待について、政府における社会全体のデジタル化推進の司令塔となるデジタル庁(本年9/1設立予定)の準備状況とその意義、教育分野のデジタル化に向けた各省連携での取り組みの方向性についてご紹介します。
 
              8.17:45〜18:30
               [T2-02]デジタルテクノロジーの限界と可能性
             橋田 浩一(東京大学)、開 一夫(東京大学
 
 データをデータ主体自身が管理運用する情報システムが利便性と安全性と経済性において最良であり、学習や教育を含むほとんどのサービスにおいてデータの価値を最大化します。これが一般常識から導かれる当たり前の話であることをご理解いただければ幸いです。

 

              9.18:30〜19:15
                 [T2-03]未来の教室における個別最適化
              浅野大介(経済産業省
 
             10.19:15〜19:30
                    参加者インタビュー
                  ファシリテーター 
                河合琢也(教育アドバイザー)
                野本竜哉(iOSコンソーシアム)
 
             11.19:30〜19:40
                   参加者インタビューのまとめ
                 佐藤昌宏(教育イノベーション協議会)
                 河合琢也(教育アドバイザー)
                 野本竜哉(iOSコンソーシアム)
 
3. 教育DXへの道筋
            12.19:40〜20:40
                 [T3-01]パネルディスカッション
                 板倉寛(文部科学省)、高谷浩樹(文部科学省
                 福本徹(国立教育政策研究所)、橋田 浩一(東京大学
                 浅野大介(経済産業省
 
            13. 20:40〜21:00
                [T3-02]ラップアップ
             佐藤昌宏(教育イノベーション協議会)、森田朗(NFI)

 

雑誌『教育』202106号を読む: 外国につながる子ども・若者と教育について

 
⓵外国人児童生徒等に対する教育支援に関する基礎資料  2016
②外国人児童生徒のためのJSL対話型アセスメント
酒井朗(2015)『教育における包摂と排除』
 
まずは凡その事実確認をする。上記参考文献⓵(p.4)を見ると、
日本語指導が必要な生徒が年々増えていることがわかる。
 
次に私の稚拙な推測だが、A.日本全体の生徒数は少子化から減っている、B.且つ地域によって集中する特性が凡そあることから、ある地域ではこのグラフを遥かに超えるペースで外国籍の児童生徒が増えているかもしれない。
 
疑問はテーマに関連して1点と本誌の意図について1点の計2点。
 まず、テーマに関連する疑問は、⓵気になるのはコロナによって人数は減っているのかどうか、②コロナ前から周縁に追いやられやすい彼らは必要な支援をより受けられなくなったのかなど、外国籍の児童生徒のコロナによる日本語指導などの学習支援に対しての影響が気になった。(既に文献等ありましたら、ご教示いただけますと幸いです。)
 
次に、本誌の意図について。本号はコロナから脱出した号になっているが、現場にそった論考であるならむしろこういった社会的排除を受けやすい立場の変化を凡そ質的に観察、記述していく文献を積み重ねていくことが求められるのではないか?
 コロナに対する行政の動きを反市場化、テクノロジー化による教育の軽視への危惧という側面のみ強調してきた本誌は、このテーマで敢えてコロナと切り離していることで、ある意味彼らの立場の周縁化に貢献してしまっていることに対して自覚する必要があるかもしれない(もちろん、全く触れないよりはましかもしれないが)。個人的には現場に寄り添う本誌の特性が故に文献の独自性・新規性が薄くなりやすいのだから、このテーマでこそコロナとぶつけた記述が見たかった。
 
飛躍するが、この「外国につながる子ども・若者」に必要なリソースを柔軟に割けるようにするには、
⓵行政の統制を緩める、
②供給資金増と人員増、が必要不可欠と、
③GIGAスクールによる知識習得箇所のドリルによる従来の指導箇所の工数削減と、それに伴う個別指導へのリソースの割り当て、
と何も彼らに限ったような話ではない、共通項であるように見えてしまう。つまり、彼らをフォーカスを当てて支援を考えた場合に彼らをあらゆる教育政策に組み入れながらも、より必要な支援(日本語教育など)がどのようなもので、それにどれだけの人とお金が必要なのか、そして今はどれだけリソースを割けているのかを検証していく必要があるだろう。

雑誌『教育』202106号を読む

 
⓵外国人児童生徒等に対する教育支援に関する基礎資料  2016
②外国人児童生徒のためのJSL対話型アセスメント
酒井朗(2015)『教育における包摂と排除』
 
まずは凡その事実確認をする。上記参考文献⓵(p.4)を見ると、
日本語指導が必要な生徒が年々増えていることがわかる。
 
次に私の稚拙な推測だが、A.日本全体の生徒数は少子化から減っている、B.且つ地域によって集中する特性が凡そあることから、ある地域ではこのグラフを遥かに超えるペースで外国籍の児童生徒が増えているかもしれない。
 
疑問はテーマに関連して1点と本誌の意図について1点の計2点。
 まず、テーマに関連する疑問は、⓵気になるのはコロナによって人数は減っているのかどうか、②コロナ前から周縁に追いやられやすい彼らは必要な支援をより受けられなくなったのかなど、外国籍の児童生徒のコロナによる日本語指導などの学習支援に対しての影響が気になった。(既に文献等ありましたら、ご教示いただけますと幸いです。)
 
次に、本誌の意図について。本号はコロナから脱出した号になっているが、現場にそった論考であるならむしろこういった社会的排除を受けやすい立場の変化を凡そ質的に観察、記述していく文献を積み重ねていくことが求められるのではないか?
 コロナに対する行政の動きを反市場化、テクノロジー化による教育の軽視への危惧という側面のみ強調してきた本誌は、このテーマで敢えてコロナと切り離していることで、ある意味彼らの立場の周縁化に貢献してしまっていることに対して自覚する必要があるかもしれない(もちろん、全く触れないよりはましかもしれないが)。個人的には現場に寄り添う本誌の特性が故に文献の独自性・新規性が薄くなりやすいのだから、このテーマでこそコロナとぶつけた記述が見たかった。
 
飛躍するが、この「外国につながる子ども・若者」に必要なリソースを柔軟に割けるようにするには、
⓵行政の統制を緩める、
②供給資金増と人員増、が必要不可欠と、
③GIGAスクールによる知識習得箇所のドリルによる従来の指導箇所の工数削減と、それに伴う個別指導へのリソースの割り当て、
と何も彼らに限ったような話ではない、共通項であるように見えてしまう。つまり、彼らをフォーカスを当てて支援を考えた場合に彼らをあらゆる教育政策に組み入れながらも、より必要な支援(日本語教育など)がどのようなもので、それにどれだけの人とお金が必要なのか、そして今はどれだけリソースを割けているのかを検証していく必要があるだろう。

藤田英典(1997)『教育改革:共生時代の学校づくり』はじめに~1章

藤田は著書のタイトルにある「共生時代の学校づくり」からわかるように、終章にて学校選択か、学校づくりかの2択を持ち込み後者の立場を取っている。また中曽根政権下での教育改革を欧米と比較し、両者ともに、市場化・自由化の道を歩む点では共通しているが、前者は「ゆとりと個性」、後者は「卓越性」を目指した点では一線を画しているとする(p.40)。そしてこの「個性」を制服で抑圧されるものではなく、
 
「同じような教科書を使い、同じような服装で、同じように扱われても、それでも相互に違いが生じてしまうわけだが、その違いを生じさせるもの、その核にあるもの」(p.47)
 
としている。ただ、ここでいう個性はその人間に備わっている内面的な側面における「かけがえのなさ」に近しいものに限定しており、これまでの学校の画一性の課題である「同じような教科書を使い、同じような服装で、同じように扱われ」ることや、同じペースで授業が進んでしまうこと自体の課題は、筆者の「共生時代の学校づくり」でどのように克服されるのか、あるいはされないのであればなぜ不要なのかは言及されていない。
 
平たく言ってしまえば、着たい服を着られない、自分の進度で学習を進められないといった、画一性を強いられることによる自己決定の不可がなぜ学校教育で許されるのか?については教育改革に焦点を当てすぎたことにより、不問のままという恰好になっている。故に、何度も指摘されてきている画一性の何が筆者の学校づくりには保持されるべき必要なものかが見えない為、他の読者も抱いているような「『共生時代の学校づくり』って結局何なのよ」感が既存の学校の画一性と比較できず、読後感としてはイマイチな印象を受ける。
 ただ、教育改革における理念的立場の4つの整理や、教育改革3つの整理、そして中軸原則の整理など、類型化は非常にわかりやすく整理されており、中教審答申「令和の日本型学校教育」の構築を目指して」ではこれまでの教育改革についてどのような見解で、今回の答申はどの類型に近しいのか自身の見解を聞きたいところである。
 あまり初めから言いすぎてしまうと終章での私見を1章で完結させてしまうため、一旦はここまで。
 
 
iv 学校は地域の人びとにとって共同性の基盤として存在している
 
vii
選択と共生ー民主主義社会の二大理念
 
パブリック·スペースとしての学校
「公論」という価値もまた民主主義社会の基本理念の一つであるが、それは、公共性に関わる諸現象を公論の対象にし、社会的(集合的)な選択・決定をしていく場を支える価値であると同時に、その場とプロセスを支配するルールでもある
 
選択、市場化=共同性の希薄化
ix 学校教育はすぐれて公共的な営みであるから、常に公論の対象となり、人びとの合意のもとにその在り方が決められていくべきものである。その意味で、教育のあり方は、政策の専門家である文部省や中教審が独占的に決められていくべきものでないし、また、教育の専門家である教師・学校が独占的に決めていくべきものでもない。
 
x 学校は公論の対象としての地位から市場における商品の地位に転落することになる。
第一章 教育改革の時代
1 岐路に立つ日本の教育
p.2岐れ道の性質
アメリカの教育が二〇世紀後半以降にたどったように、教育に市場原理を導入し、教育の個別化・自由化・私事化を推し進めるのか、それとも 日本的なあり方を模索するのかという岐れ道
 
四つの理念的立場
①市場主義、自由主義
②統制主義、社会主義
③救済主義(①の修正)
改良主義(②の修正)
p.6-7「第三の教育改革」とポストモダン
日本の教育はこれまで、基本的には改良主義の立場から計画され組織されてきた。 
第一の教育改革6-7
明治期の学校制度の創設は、近代社会への旅立ち
第二の教育改革
戦後 教育の民主化・大衆化・平等化
第三の教育改革
経済社会の流動化・グローバル化に対応するために、教育の個性化・自由化・国際化が目指されている

 

 
4「再構造化」時代の教育改革 40 
欧米と逆行する日本
一九八〇年代半ば以降の日本の教育改革は、教育の個性化・多様化・弾力化、さらには、自由化・市場化を基調にして展開している。一九八四年、当時の中曽根首相により、内閣総理大臣の諮問機関として臨時教育審議会が設置され、八七年までの四年間に四次にわたる答申を行ったが、その基調はそれ以来のものである。もっとも、自由化(市場化)については臨教審内部でも論争になり、スローガンとしては、第一次答申にいたるまでに、「教育の自由化」から 「個性主義」「個性重視の原則」へと変更されることになった。しかし、その後の改革動向は、 自由化・市場化が前提となって展開しているように見受けられる。
 
その意味では、日本の改革動向は欧米のそれと軌を一にしているといえる。しかし、もう一方で、その目標面で、日本の改革動向が欧米諸国のそれと逆方向を向いていることも確かである。欧米では「卓越性」が追求されているのに対して日本の場合、とくに初等・中等教育の改革でスローガンになっているのは「ゆとりと個性」であり、そのためには学校過剰・教育過剰ともいうべき現状を変えていく必要があるといわれている。効率を犠牲にしても、子どもの生活をゆとりとうるおいのあるものにしなければならない。学校を、多様な個性が尊重され、生かされる場にしていかなければならない、といわれている。 このような違いが生じる理由の一つは、英米と日本とのこれまでの教育のあり方の違いにある。英米では、七〇年代までの改革が子どもの自由と個性を拡大するものであり、八〇年代以 降の改革動向は、その反動という性質をもっている。それに対して日本の場合、中央集権制、 画一性、管理主義、受験競争などが特徴となってきた。その違いが、逆方向の改革になる背景となっている。
 
しかし、ここでもう一つ注目すべき点は、そうした日本の教育の諸特徴は、欧米諸国が日本の学校教育の卓越性の基盤ではないかと見ていることである。ちょうど一九七〇年代以降、日 本経済の成功を目のあたりにして、その成功の秘密を日本的経営や企業社会のあり方に求めた ように、学校教育についても同様の関心が払われている。そして、この経済と教育の対応性を どう見るかが、こんにちの日本において、現在進められているような教育改革を支持するか、 筆者のようにそれを否定的にとらえるかという、スタンスの違いの重要な源泉の一つになっている。

 

 
47.
それどころか、学校に対する愛着や誇りの源泉として、あるいは、集団統合のシンボルとして、むしろポジティブに評 価される場合が少なくない。なぜ公立の制服は個性を抑圧するものとして批判の対象になり、 私立の制服はポジティブに評価されるのであろうか。なぜ人びとは、公立の制服と私立の制服に異なった評価基準を適用するのだろうか。こうした、いわゆるダブル・スタンダードを自明のものとして許容させているものは何であろうか。
 さらにいえば、そもそも制服によって抑圧される個性とはどのようなものであろうか。全国的に共通の内容を盛りこんだ教科書を使い、四〇人ものクラスで一斉指導が行われているから個性が抑圧されているのだとしたら、そこで抑圧されている個性とはどのような個性であろうか。同じような教科書を使い、同じような服装で、同じように扱われても、それでも相互に違 いが生じてしまうわけだが、その違いを生じさせるもの、その核にあるものこそ、個性ではないのだろうか。個性化教育論の支持者はこのような素朴な疑問にどう答えるであろうか。 アメリカでもカトリック系の学校は小学校からハイスクールまで制服を採用しており、最近は公立学校でも制服を導入したほうがよいという意見も増えているが、それは個性を抑圧することにならないのだろうか。

 

 
いまなぜ教育改革か:四つの背景49
1教育病理
2 加熱する受験競争、管理主義教育、画一的教育、硬直的な教育制度
3 大規模な社会変化とそれへの対応の必要性
4 生活様式と価値観が多様化するなかで教育に対する期待や考え方も多様化し、「個 性」への関心や権利意識も高まってきたこと

 

藤田英典(1997)『教育改革:共生時代の学校づくり』目次

目次
はじめに
「学校が統廃合される」といううわさの波紋
共同性の基盤としての学校
教育における消費者主権のゆくえ
選択と共生-民主主義社会の二大理念
パブリック・スペースとしての学校  
 
第一章 教育改革の時代
1 岐路に立つ日本の教育
岐れ道の性質2
四つの理念的立場4
「第三の教育改革」とポストモダン6
 
2 教育改革の論理と展開
四つの中軸原則と学校教育の発展9
成立局面における中軸原則12
拡大局面第一段階における中軸原則14
拡大局面第二段階における中軸原則18
 
3 欧米の教育改革
教育改革の世界的動向23
注目される日本の教育25
振り子のようなアメリカの教育改革29
イギリス経済の再建と教育改革33
 
4「再構造化」時代の教育改革 40
欧米と逆行する日本40
「改革」を実行する奇妙なロジック43
教育批判の論拠としての「個性」46
「制度疲労」と「規制緩和」がはらむ問題52
 
 
第二章 「六.三三制」と中等教育
1 社会資本としての初等.中等教育 60
ハンバーガー・ショップでの経験60
現代産業社会の活動水準と能力水準62
新保守主義教育改革論の台頭と「卓越性の追求」65
「基礎に帰れ」と文化的リテラシー66
根強い欧米美化論・欧米追従論70
教育の基礎性・知識の先進性・企業活動のベンチャー性74
 
2 公立中高一貫校の問題点 77
一貫校推奨論の論点77
一貫校のエリート校化と受験競争の低年齢化79
中学校から始まる制度的格差81
中学段階での学校選択84
根拠薄弱な教育的メリット論87
 
3苦悶する中等教育
矛盾する三つの目的91
選抜機能、そして、青年期の教育94
学校体系の三類型97
イギリスの学校体系と選抜・振り分け102
ドイツの学校体系と選抜・振り分け105
フランスの学校体系と選抜・振り分け106
中等教育システムの機能と編成原理109
 
4エリート教育の位相113
民主主義時代のエリートとは113
飛び級制・中高一貫校と「六・三・三制」117
中等教育改革の三つの公準119
 
第三章 教育福祉社会の思想―青少年の生活空間をどう考えるか
1学校週五日制の理想と現実126
<怠惰な生活時間の増大>-学校週五日の帰結(1)126
<怠惰な生活時間の増大>-学校週五日の帰結(2)127
学校週五日制という政策がはらむ矛盾132
導入の背景135
私事化・自由化と階層差の拡大140
授業時数削減と<学校教育の理想>の受難144
個人主義的個性観と間人主義的個性観147
151文明論と文化論の交点で151
 
2パストラル.ケアと青少年の生活環境 153
イギリスにおける「教育病理」問題153
パストラル・ケアへの関心の高まり156
パストラル・カリキュラム159
パストラル・ケアの四つの次元162
「青少年保護条例」「子どもの権利条約」の位相165
牧人的世話
 
第四章 教育問題と教育改革169
1. 教育問題とは何か 170
教育問題と「改革の気分」170
「問題」の制度化とカウンセラー配置の意義174
問題の取り違えとその危険176
認知問題としての教育問題180
当為問題、計画問題、調整問題としての教育問題183
2「教育病理」現象の展開と背景 189
噴出する「教育病理」問題189
「教育病理」現象の原因論191
転換期としての一九七〇年代194
学校化社会のアイロニー197
不透明な制度と権威への反抗201
学校化社会と情報化社会・消費社会の狭間で204
 
3 いじめ.不登校と学校改革の課題208
いじめ・不登校の原因は学校にあるのか?209
いじめの四類型と学校・教師の責任211
不登校・高校中退の四類型と教育機会の多様化215
 
終章 学校再生の戦略ー学校選択か、学校づくりか
223
学校選択制推進力の三つの特徴224
アメリカにおける学校選択制の展開227
アメリカにおける学校選択制の諸形態230
シカゴの学校独立運営制、イースト・ハーレムの学校選択制、チャーター・スクール234
日本における学校再生の可能性239
共生時代の学校づくり241

 

『流行に踊る日本の教育』第10章@独り読書会

第10章 社会に開かれた教育課程

 

PDCAのPがズレていればDもCもAもズレていることになる。教育課程づくりも授業時数の縛りを超えたものにもならず、限定的なものにならざるを得ない。教員を主語としない形でこれらが行われるのであれば、まだ時間的余裕があるが教員にもあれこれ求めているような気がしてならない。全体の優先順位の中でどの辺りに社会に開かれた教育課程とカリキュラムマネジメントが位置づけられると中教審はじめ文科省など行政は想定しているのかが気になるところだ。
 
■社会に開かれた教育課程
259
そこでは、まず「何ができるようになるか」「何を学ぶか」「どのように学ぶか」等、従来の学校や指導のあり方等を改善するための視点が示されました。それらを推進する中心理念とされたのが「社会に開かれた教育課程」という考え方
 

 

 
260
①社会や世界の状況を幅広く視野に入れ、よりよい学校教育を通じてよりよい社会を創るという目標を持ち、教育課程を介してその目標を社会と共有していくこと。
②これからの社会を創り出していく子供たちが、社会や世界に向き合い関わり合い、自ら の人生を切り拓くための資質能力とは何か、教育課程で明確化し育むこと。
③教育課程の実施に当たって、地域の人的物的資源を活用したり、社会教育との連携 図ったりし、学校教育の目指すところを社会と共有・連携して実現すること

 ■カリキュラム・マネジメント

262
①各教科の相互関係を重視、教科等横断的な視点で、学校教育目標の達成に必要な教育内容を組織的に配列していくこと。
②子供や地域に関する調査やデータに基づき、教育課程の編成・実施・評価・改善のPDCAサイクルを確立すること。
③地域等の外部資源も含めて活用しつつ、教育活動に必要な人的・物的資源等を、教育内容と効果的に組み合わせること。

 

■コミュニティ・スクール
264
①「開かれた学校」から一歩踏み出し、目標やビジョンを地域と共有し、地域と一体に なって子供たちを育む「地域とともにある学校」へ転換する。
②「子どものみならず、大人も学び合い育ち合う体制」を、個別バラバラに展開するのでなく、地域で一体的・総合的に構築する。
③学校を核に地域の人々が協働して、地域の将来を担う人材を育成するという「学校を核とした地域づくり」を推進する。

 

『流行に踊る日本の教育』第5章@独り読書会

第5章 インクルーシブ教育
大空小学校:発達障害の子たちも通常学級で学ぶ
 
本章は、大空小学校とUD授業を対比させ、類似/相違点を抽出している。
大空小学校:発達障害の子たちも通常学級で学ぶ
 
包摂をしています!と豪語している人間、企業、教育は何を排除しているかに着目することが何より重要。包摂は「排除の排除」であるため、排除の一類型。
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以下 pick up
■UD授業について
132-133
他の子どもたちにとっても「あると便利な『支援』を目指す授業」(佐藤、 2010)とされ、特に、授業デザインにおいて、「 焦点化」「視覚化」「共有化」を重視しています (桂、2011)。「焦点化」とは授業のねらいや活動をしぼること、「視覚化」とは、視覚的な手がかりを効果的に活用すること、 「共有化」は、話し合い活動を組織化することの重視です 具体的な授業方法はさまざまですが、たとえば、「机の上に置く物の位置を統一する一 「持ち物の統一」「姿勢の統一」といった学習規律を明確にしたり、「黒板にまずは黄色 のチョークでめあてを書く」「黒板の前面の掲示物をなくす」「物語文の登場人物を考えるときは、黒板に吹きだしをかいて、視覚的にする」といった教育技術を明確にするといったことが、現場に採用されます。
 
139
結局、現状のインクルーシブに対する語りは、知的障害などのマイノリティの子ども の学びを十分に検討しないまま、「自分たちが教育しやすい」「論じやすい」子どもを 対象に話を進めている印象を受けます。限定的インクルーシブ教育ともいえます。